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Plane-Memo

メモ書きのような側面もあれば、備忘録のような側面もあります。わかりやすい文章を心がけていきます。が、道半ばでまだまだ拙い文章であることは認めざるを得ません。

「発表」と「発令」について、辞書的な意味から考えてみた

 何か(重大な)災害の危険性があるときに、気象庁からは「警報」や「注意報」が発表される。しかしこのように気象警報または注意報が出された場合に、世間一般やネットメディア、市町村の役所などが「発令」という言葉を使用していることがある。もちろん正式には「発表」なのだが、なぜ「発令」と言い換えてしまうのか。おそらくはほとんど意識していないのだろうが……真相は当事者のみぞ知る。

それではこの二つの言葉について、辞書を参考にさせてもらった。以下、気象庁の公式見解でもなんでもなく、個人的な推測であることには十分に注意されたい。 

まずは「発表」について。 

世間一般に知らせること。表向きに知らせること。また、その知らせ。

出典:はっぴょう【発表】の意味 - goo国語辞書

 次に「発令」について。 

法令・辞令・指示などを出すこと。

出典:はつれい【発令】の意味 - goo国語辞書

 警報や注意報というのは、「警告」や「注意」なので、法令でもなければ辞令でもなく、そして指示でもない。気象警報・注意報を出すことで、災害が起こる可能性があることを世間に知らせるという意味でも、やはり「発表」がふさわしい。法令・辞令・指示には「従わざるを得ない」というニュアンスが感じられる一方で、警報や注意報が出たからといって避難の義務があるわけではない。

まあ正直、情報の受け手である我々にとっては、どうでもいい些細な違いで済ませられることだが、情報を伝える側は一応正しいほうを使うのがよいと思う。

ピコ太郎のCM起用は失敗

20歳になってから、テレビ(主にバラエティー)を視聴する機会がかなり減った。先月友人と数カ月ぶりに会い、友人の家で録画してあったバラエティーを観た(実際には流していた程度だが)とき、出演している若手芸人を知らなくて驚かれてしまった。

そんな僕であっても、「ピコ太郎」から逃れることはできなかった。民放のニュースを観ていても、CMで彼が出てくる。正直、自分にはギャグの魅力はまったくわからないわけだが、流行ったという事実は認めざるを得ないらしい。

しかしもうすでに、足場が崩れつつあるように思う。彼の存在が話題になり始めたのはつい最近のことだと認識しているが、多くの企業に起用されすぎて、差別化を図れなくなっている。彼が出演しているCMで覚えているのは、せいぜい“Y!mobile”くらいだ。他の何社かは、まったくと言っていいほど印象に残っていない。誰か「ピコ太郎起用」に反対する社員はいなかったのだろうか。残念ながら現状、ほぼ散財しただけになっている。起用している企業には、もうちょっと彼のギャグを応用してほしかった。

さて、ではピコ太郎サイドはどうだろうか。たしかにCM出演すれば、報酬は入ってくるし、バラエティーを観ない層にも認知してもらえるだろう。しかし、いわば「インフレ状態」になっている感じが否めない。例えば個人的には、「感動」という言葉が最も安っぽい言葉になっていると考えている。
・小説を読んでも「感動した」
・オリンピックを観戦しても「感動した」
・誰かのスピーチを聴いても「感動した」
といった具合にである。使えば使うほど陳腐になっていく点は、芸人であっても同じであり、もっと簡潔に表現するなら「飽きた」ということだ。

もうこのインフレは止まらないだろうし、本人も含めた関係者はインフレしてもよいと考えているだろう。そろそろ古坂大魔王に戻る時期がやってきたのかもしれない。

その防災情報は信用できるか

最近、災害時や災害が見込まれる際に流されるデマがよく問題となる。もちろん冷静に確認すれば、すぐに嘘だと見抜けるものが多い。しかし緊迫した状況下では、信用してしまう可能性も否定できない。余計な混乱を招きかねないという意味でも、偽の情報を流したい衝動を抑え込んでほしい。

どことなく胡散臭さが漂う情報であれば、専門知識を持たない私たち一般人でも、安易に拡散しないなどの対処ができる。だが注意しなければならないのは、一見すると正確に思える情報だ。

大雨や大雪が予想される場合、ニュースでは「どれくらい降るか」が数値で示される。例えば「24時間で200mm」や「24時間で50cm」といった感じだ。無論これは予測なので、実測でまったく同じ数値になるわけではない。こういった数値はコンピュータによって計算されているが、出た結果をそのまま発表することはない。というのも、コンピュータにも限界があり、不確実性(誤差)を避けられないからである。つまりコンピュータではじき出されただけの数値は、いまいち正確ではないのだ。最後は人間によって、不確実性を考慮したより適切な数値に直される。

ではここで、コンピュータで算出されただけの数値を「コンピュータの数値」と呼ぶことにする。

さて、前述の「正確に思える情報」とは、この「コンピュータの数値」を指し、これが個人によって、SNSに投稿されていることがある。デマだとまでは言えないが、気象庁の見解とは異なるので注意が必要だ。

こういった情報の特徴の一つに、やけに数値が細かいことが挙げられる。気象業界の人によると、特に雪の予報は難しく、一部の例(=降雪が少ないと見込まれる場合)を除き、1cm単位での予測はまだ不可能とのこと。

したがって「コンピュータの数値」を見かけた場合は鵜呑みにせず、「コンピュータはそう予想しているのね~」くらいに流しても構わないだろう。また、"発信源"がわからない情報についても同様だ。

最も確からしい気象情報を発表しているのは、やはり気象庁である。加えて、災害時には自治体の情報を見ておけば、デマに惑わされることも少なくなるだろう。

たしかに気象庁や自治体のサイトを訪れるのはやや面倒かもしれないが、たった一手間で減災に繋がるのであれば、それは意味のある数分間になる。

(※気象庁の予報が最も確からしいというだけで、的中率100%ではない。情報を利用する側の私たちも、予報に不確実性が含まれていることを意識する必要がある)

「降雪量」について、気象業界の方に伺った。

大雪となりそうなとき、気象庁から予想降雪量が発表される。例えば「24時間で30cm」といった具合に。もちろんこれは、24時間後の積雪深を予想したものではないから、30cm積もるとは限らない。今年は、全国紙でも降雪量と積雪深を(意図的なのかはわからないが)混同していたため、やはり社会全体には浸透していないのか。両者の違いに関しては、気象庁金沢地方気象台)のかなりわかりやすい説明に頼ろうと思う。

気象庁積雪の深さと降雪の深さ

降雪量は、観測時の積雪深とその1時間前の積雪深を比較したとき、増加分(新たな積雪)を指すことがわかる。降雪量は時間で、積雪深は時刻で考えている。

ここまではよかった。しかし降雪量という言葉の意味を突き詰めていくうちに、とある疑問が浮かんでしまった。

A:「予想降雪量◯cmでも、そのすべてが積もるとは限らないから降雪量≠積雪深」という説明を見る。無論言いたいことはわかる。数日前までは自分もそんな認識だったが、なんだか言葉足らずな感じも拭えない。というのも、降雪量は「一定時間で実際に降り"積もった"雪の量」であり、定義から考えると「一時的とはいえ、すべてが積もっているのではないか」と思ってしまうからだ。

「すべてが積もるとは限らない」より、B:「積もるけれども圧密や融解があるから、結果として降雪量≠積雪深となる」の方が、個人的にはすっきりする。

素人が一人でグダグダ考えていても、解決しないと思ったので、何を血迷ったか気象業界の方に質問をしてみた。すると回答をいただけたので、その一部を抜粋する。

 

「観測と予測では降雪量の意味が正確には異なります。観測の場合は前1時間積雪深差を降雪量と定義したりしますが、予測の場合には積雪後のことは全く考えずに数値モデルの結果から(新雪として)降る量を降雪量としていると思います」

ということなので、同じ「降雪量」でも指しているものが違った。この回答を受けて、私が次のように質問をした。

「観測における降雪量は『1時間で実際に新しく積もった量』で、予測時点での降雪量は『空から降ってくる量を予想したもので、観測時の降雪量とは値が異なる』という認識で合っているでしょうか」

これに対しては、「その認識で概ねOKと思います」と返信をいただいた。

 

今になって読み返してみると、質問の言葉選びが悪かったと思う。このままでは「予測はかならず当たるものではないから、観測時の値と異なるのは当然」と指摘が入りそうなので、先に言い訳をさせてほしい。ここでの「値が異なる」とは、「性質が異なるのだから、予測が完璧でも値が違ってくる」くらいの意味である。

さて、簡単に言えば、
・観測時(実測)の降雪量→一定時間内に降り積もった量。
・予測時の降雪量→予想しているのは一定時間内に降る量であって、降り積もる量ではない。
ということなる。

もちろん気象庁が予想降雪量を発表しているときは、説明Aが正しいことになる。一方で観測時の降雪量を持ち出して話すときは、説明Bでも問題はなかろう(そのような機会が我々には少ないが)。一人だと長々と唸ったが、こうもあっさりと解決してしまった。

なお、本筋からはやや逸れてしまうが、(実測の)降雪量=積雪深となった例(2014年2月14日の東京)もある。

気象庁のページへのリンク:気象庁|過去の気象データ検索

この日は降雪量も積雪深も18cmとなっていて、非常に面白かった。

突き詰めると寝付きが悪くなってしまうので、あまりおすすめできない。が、勉強になったため、収穫の方が大きかった。一個人の質問にお付き合いいただいて、本当にありがたかった。

「雨=天気が悪い」とは思いたくない

雨が降ると憂鬱な気分になる人は少なくない。洗濯物は乾きにくく、コンビニに行くのすら憚られる。雨足が強くなろうものなら、ズボンの裾が濡れて不快なことこの上ないだろう。外で遊べない子どもの相手をしなければならず、休日に休養できなかったお父さんにはねぎらいの言葉を送りたくなる。私も雨が降った日にため息を付くのはザラだ。

その一方で、雨天に歓喜の声を上げる人がいるのも事実だ。実際に私も、そのような経験がある。

高校一年の体育祭は、雨により開始が遅れた。その影響で何個かの競技が削られたのだが、そこに出場予定だった競技も含まれていたため、体育祭が嫌いだった私にとっては喜ばしい事態だった。このように、雨を待ち望む場合もある(しかしその後、複数競技に出場する予定だった級友に一つ出場枠を譲られてしまい、ぬか喜びに終わったのだが)。

ここまででわかるだろうが、私自身も雨に感謝したり心中で舌打ちをしたりと、かなり勝手な対応をしている。結局雨がよいか悪いかは、そのときの条件に左右されるとしか言いようがない。

書いている途中で思い出したが、今年は水不足が問題になった。取水制限対岸の火事だったので、すっかり記憶から抜け落ちていたが、まさに「恵みの雨」を期待する状況にあったことは間違いない。

あるいは日照りが続いても、同様のことが言えよう。我々を生活を支える農作物に大きな被害が出てしまう。収穫量が減ると野菜の価格が高騰して、農家ではない家庭は経済的な負担が増える。このとき、農家にとっても農家でない家庭にとっても、雨はありがたいものになる。

もちろん、雨がよくて晴れが悪いと言いたいわけではない。太陽は人間にとって必要不可欠だ。

短絡的に「晴れ=天気がいい」「雨=天気が悪い」と結びつけるのではなく、双方の重要性を改めて認識しておきたい。

ところで、同じような話題を検索していると、「気象予報士は『天気が悪い』とは言わない」という旨の記事がたくさんあったが、本当だろうか。これからの天気予報を注視していきたい。